このHPは、広島県にある世羅町甲山夏祭りをはじめ、にわか狂言だんじりつり人形を紹介します。
祭りの開催日は毎年8月19日 8月20日です。


廿日えびすとは

甲山夏祭り 日程一覧

開催所駐車場マップ


廿日えびすの見どころ

交通手段とご宿泊

関連リンク


お問合わせ

祭り

どうして、はじまったか

 昔(旧暦)には、日曜日や祭日はなく、正月と盆のみ休日だったため、夏祭りはとても楽しみな娯楽行事
 だったから、だんだん盛大に行われたと考えられます。

名前の由来は、何か

 毎月20日に行われる今高野山弘法大師御影供養、観音供養と胡神社の夏祭りを合併させて「廿日 
 えびす夏祭り 」ができたと思われます。

この祭りは何日間あるのか


 第二次世界大戦前は5日間あり、戦後から昭和40年台は3日間でした。現在は2日間でです。

今までにどんなアクシデントがあったか

 長い歴史の中には、戦争による中断や、人々が日常生活するなかの異変すべてです。
 祭り当日の火災発生 ・暴走族の喧嘩 ・大雨、台風による延期や中止 ・現在 若手不足など


なぜ8/19と8/20にするのか

 今高野山では、毎月19日、20日が弘法大師御影供養、観音供養の祭礼日だから行われていたからです。


地域の人の苦労はなにか

 年々変わる社会環境の変化の中、変えなければならないことと、変えてはならないことの見極めと、伝統
 の継承


見物人はどこからどれぐらい来るのか

 近郡から約三万人。



だんじり


いつどこで、作られたのか

 上組は、昭和28年 若連中が、素人芝居を演じて、資金造りをして再建しました。
 製作者は、地元の宮大工さんです。

 中之町東町は、昭和31年火災で焼失した為に、地域の寄付で再建しました。
 製作者は、世羅町の宮大工さんです。

 新川町(西上原)は、昭和3年の御大典を記念して建造 そして 平成4年に再建しました。
 製作者は、姫路市のだんじりや お御輿を製作する専門業者さんです。

なぜ、動かすのか

 各家々の前の路上に止め、綱の中を舞台として、動作を入れた「流しにわか」を演じる見
 物人や各家々に「えびす大黒」の御利益を届けるため「だんじり」を動かすのです。

ぶつからないための、工夫はなにか

 頭取提灯を持った「頭取」の指揮のもとに、舵取り棒によるハンドル操作と、人間によるブレーキを行う

 だんじりの大きさは3台とも異なりますが、長さ2.7m 幅2.1m 高さ3.3m です。

昔と今では、違いがあるのか

 江戸時代末期の「だんじり」は、今より小柄で、車輪は 松の丸太を切り中心に穴を開け 丸太の外側
 には鉄板を巻いた物で、舵取り装置もなく 方向転換は容易ではなかった。
 明治時代初期には、2階建てが作られ 2階に「はやし方」 1階に「吊人形」を飾っていました。
 大正7年に 電灯線と 電話線が張られ 2階建てでは 引っかかる為に 1階建ての現在の姿に改造
 されたそうです。


どうして、3グループなのか
 昭和初期までは、世羅町太田町にも「だんじり」がありましたが、火災で焼失してしまい 再建されてな
 いので、現在3グループです。
 「だんじり」の再建して 祭りの日に運行することは、とても難しいことなのです。


にわか狂言

いつからはじまったのか

 江戸時代 広島藩主が今高野山に 諸堂(1704年?)建立されたお祝いと思われる。

にわかとは、どういう意味なの

 仁輪加、仁和加、俄、仁〇加という文字で、表現されます。
 江戸時代には、歌舞伎が 一般大衆にもてはやされ、全国的に、その一場面を にわか芝居(瞬間もの
 まね芸)として素人の間で楽しまれました。
 即興劇(準備をあまりせずに 急にする劇) すなわち にわか芝居であり、「にわか」=「急に」 という意
 味も含まれる。

誰が台本を作るのか

 地元有志の人や、保存会の人たちが作ってます。

どういう内容が、多いのか

 明治・大正時代は、歌舞伎調の「にわか」が多かったが、
 戦後の 歌舞伎衣装の不足、知識人の交代や資金不足などの理由で現代物、時代劇物、時代風刺物、
 人気TV番組などを 真似たものが、多くなっている。

よその祭りとの違いはなにか

 開催日を 8/19 8/20 と固定化していること。
 「甲山にわか狂言」は、「だんじり」の引き綱の中を 舞台に見立てて 小若連中の手燭の明かりをうけ「路上
 流しにわか」を演じます。
 内容的には、オチに「物落とし」を多く使用するのが特徴です。



                                     上に戻る



提 供

リンク有